インドカディ、インド雑貨の専門店 manishanisha(マニーシャニーシャ) は、現在準備中です。
2019/08/08 00:08
見知らぬ土地に行くと、当ても無く小道・裏道を歩き回るのが何よりの楽しみです。
南インドのタミルナドゥ州に滞在中、いつも散策の足が進まなくなるほど、私の目を
釘付けにしたのが、”Kolam" と呼ばれる、各家々の入り口の前に描かれた絵でした。
その一軒一軒、違う模様と色で描かれた”Kolam" を見て回り、気に入った”Kolam"の
写真を撮るのが、私の日課となりましたが、一体誰が何の為に描いているのかが、
初めはわかりませんでした。
釘付けにしたのが、”Kolam" と呼ばれる、各家々の入り口の前に描かれた絵でした。
その一軒一軒、違う模様と色で描かれた”Kolam" を見て回り、気に入った”Kolam"の
写真を撮るのが、私の日課となりましたが、一体誰が何の為に描いているのかが、
初めはわかりませんでした。
ある早朝、散歩に出かけようと泊まっていた宿から外に出ると、まだ太陽が昇りきらない
暗がりの中、沢山の女性達が道端に屈みこんで、”Kolam" を黙々と描く姿が目に飛び込ん
できました。
暗がりの中、沢山の女性達が道端に屈みこんで、”Kolam" を黙々と描く姿が目に飛び込ん
できました。
その神妙とも言える光景と空気感の中で受けた感銘は、今でも忘れません。

”Kolam(コーラム)”は、本来は米粉と天然の色素を使って、五穀豊穣の願いや感謝を
込めて家の軒先に描かれ、観賞と共に昆虫や鳥への糧ともなっていました。
呼び名は違っても、インドのタミルナードゥ州、カルナータカ州、テランガナ州、
アンドラプラデシュ州、ケララ州、ゴアの一部、マハラシュトラ州、そしてインド以外でも、
スリランカやインドネシア、マレーシア、タイ等、その他いくつかのアジア諸国でも見られる
風習の一つです。
込めて家の軒先に描かれ、観賞と共に昆虫や鳥への糧ともなっていました。
呼び名は違っても、インドのタミルナードゥ州、カルナータカ州、テランガナ州、
アンドラプラデシュ州、ケララ州、ゴアの一部、マハラシュトラ州、そしてインド以外でも、
スリランカやインドネシア、マレーシア、タイ等、その他いくつかのアジア諸国でも見られる
風習の一つです。
最近は、チョークや科学染料が使われる事が多くなってきましたが、今でも変わらず、毎朝
女性達の手によって描かれ、そして儚くも消えていく”Kolam"は、私にとっては他に類の無い、
無形財産といっても過言ではありません。
女性達の手によって描かれ、そして儚くも消えていく”Kolam"は、私にとっては他に類の無い、
無形財産といっても過言ではありません。
女性達がこつこつと丁寧に時間をかけて完成する ”Kolam”ですが、それをまったく愛でも
守ろうともしない存在も多いのです。

守ろうともしない存在も多いのです。


私だったら、「やめて~!せっかくかいたのに~」と、涙ながらに訴えるところですが、
当の女性達も、完成したての絵の上を、オートや自転車が走ろうが、人が踏みつけようが、
犬が寝そべろうが、全く気にしない感じです。
当の女性達も、完成したての絵の上を、オートや自転車が走ろうが、人が踏みつけようが、
犬が寝そべろうが、全く気にしない感じです。
またその潔さに敬服!

なんでもやりたがりの私は、ヘナと同様、”Kolam" のデザインブックを買い込み、
「私も家の前に描く!」
と、意気込んでいたものの、結局未だに実現できていません・・・。
「私も家の前に描く!」
と、意気込んでいたものの、結局未だに実現できていません・・・。
自然を敬い、感謝を込め、残す事を目的とせず、その時のためだけに描かれる”Kolam"。
何時間かけて描きあげても、次の瞬間には消されてしまうかもしれない、なんてことを
気にせずに、毎朝体を清めるのと同じ様に、当たり前に繰り返される朝の儀式ともいえる
女性達のこの行為は、まさに無心の芸術といえよう。
気にせずに、毎朝体を清めるのと同じ様に、当たり前に繰り返される朝の儀式ともいえる
女性達のこの行為は、まさに無心の芸術といえよう。