インドカディ、インド雑貨の専門店 manishanisha(マニーシャニーシャ) は、現在準備中です。

2020/10/30 00:51

プネには日本語学校が多く、インド人の日本語学習者はもちろん、日本語教師も沢山います。

ある時、プネで開かれた、「日本語指導者のためのワークショップ」に参加する機会があり、
そこで何人か、今も連絡を取り合うインド人の友達ができました。 

その1人のAちゃん。
20代前半にして、日本語能力試験2級保持者で、ヒンディー語、マラティ語(マハラシュートラ州
では”マラティ語”が公用語)、英語を操り、すでに日本企業に勤めるエリート。
それまでも、何人か日本語が上手で会話に困らないインド人には会ってきましたが、
その若さにして、私達が普段使う日本語をほぼ完璧に理解し、メールも会話も日本語のみで
問題無いのは、彼女くらいです。(ほとんどの人が、会話は日本語でも、メールは英語を使う傾向)

お酒を飲み、出歩くのが大好きで好奇心旺盛なのは、プネやムンバイの女性に多く見られるのですが、
私が何よりも感銘を受けたのが、インド人離れした彼女の行動力とものの考え方。
オープンな女性が多いプネとはいえ、やはり男女の関係や、仕事や家族の問題は、なかなか自分の好きな
ようにいかないのが当たり前、が暗黙の了解とされているのが現状です。
そんな環境でも、自分で身につけた知識と能力を活かし、ITエンジニアとして日本企業で働く職を得て、
ボーイフレンドとの経験もあり、その若さですでに日本への出張や旅行の経験を持つAちゃん。
クリスチャンの裕福な家庭育ちとはいえ、話を聞くと、両親の病気や、本当にお金と食べるものが
無かった時代もあった等、旗から見たらわからないような苦労を乗り越えての今だそう。

家が近かったので、プネにいるときは、時々Aちゃんを家に呼んで、私がAちゃんの大好きな日本料理を
作り、一緒にビールや日本酒を飲んだりしていました。その時に恋愛話や、日本での滞在時の話をよく
聞いていたのですが、彼女の日本でのお金の使い方に、また驚かされました。

インドから日本に出張や駐在に行く、企業に勤める人たちは、日本での滞在費や移動費はもちろん、
日本での物価が反映されたお給料をもらいます。インド人の平均のお給料で考えたら、月数十万円の
お給料は、インドの人にとってはかなり高額になりますが、みなさんご存知な通り、日本で旅行や
外食、買い物なんて頻繁にしていたら、数十万なんてあっという間に消えてしまいますよね。
なので、大体の日本で生活するインド人は、できる限りつつましく暮らし、無駄遣いをせずに、
こつこつとお金を貯め、インドに送金をし、数年でインドに家が買えるくらいのお金を貯める道を選びます。

ところが、Aちゃん。日本に数ヶ月滞在している時、ここぞとばかりに遊びまわり、毎月のお給料を
全部使い果たし、時には一緒にいた同僚に借りる事すらあったらしいのです。
「だって、1度きりの人生だもん。私は楽しみたい!」
今までそんな風に言い切り、そして実際行動しているインド人の女の子に会ったことがありませんでした。

ずっと日本で長期(もしくは一生?)働くことを願っていたAちゃん。
念願かなって、やっと去年から日本への転勤が決まり、日本での生活が始まりました。
コロナ問題が少し落ち着き、自粛モードが和らいできた最近、久しぶりにAちゃんと食事に行きました。
普段は週末や祝日に、隙間なく予定を入れて日本中飛び回るほどアクティブなAちゃんですが、さすがに
おとなしく自粛生活を送っていたそう。
「私、今年なにもできなかったよ。今年はなかったことにしてほしい!!」
と、切に訴えていました。多くの人が同じ気持ちですよね・・・。
しかし、その表現を日本語でさらりという彼女がすごい。

(この日は寒かったので、オーガニック火鍋屋さんに行きました)

病気だったお母さんの急死を乗り越え、このコロナ禍の中、異国の地で逞しく1人で生活しているだけ
でも気遣われるべき立場であるはずなのに、家族や親戚、そして友達までもがAちゃんにインドから
経済的援助を絶えず求めてくるのだそう。
聞いてみると、すでに一度、普通だったら20代前半の若い女の子がいい歳した大人たち渡すなんて
できない額のお金を親戚に渡しているそう。
インドの場合、親族内で「借りる」という概念はあまりなく、ほぼ「あげる」に等しくもなります。
実際、Aちゃんは親戚から「お金ちょうだい。」、と言われたらしい・・・。
私が信じられなかったのは、友達までもがそんなことを頼んでくる、ということでした・・・。

「もういい加減にしてほしいよ。私の人生、私のお金だよ!本当に嫌。だから、もう渡さないって言った。」
うんざりした口調で、Aちゃんは言いました。



インドだけではありませんが、家族の絆と依存が強い国ではよくある話だと思います。
日本も昔は親が子を売ったり、子供に稼がせる、なんて時代もありましたもんね・・・。
Aちゃんのように、「それが当たり前というのがおかしい」ということに気がついて、
「NO」、と言う事ができる子は、インドでは本当に少ないと思います。
「家族なんだから当たり前」、という考え方に賛成できない私は、心からAちゃんにはAちゃん
の幸せを掴んで、自分の道を貫いてほしいです。そして、彼女ならできると信じています。

私達人間は、母の子宮を出て、へその尾を切られたときから、自分の人生が始まるのです。
支え合って生きていくことは大事ですが、どちらかがどちらかに覆いかぶさるのではなく、
いつでも人の幸せを願い、協力と理解の基、自分の幸せは自分で築き、そして守って生きて
行きたいですね。